12 Sep 2017
承認欲求など満たす必要ない!
仕事で大きな失敗した、、、
学校で問題を大きく間違えてしまった、、、
などのトラブルに遭遇し、あなたが理想としている自分と、今の自分の置かれた状況を比べてみて、
「こんなはずじゃない。大きく違う・・・」
「もっとできるはず。ダメな自分だ・・・」
と挫折感いっぱいで、生きづらさを感じているあなたにお伝えしたいことがあります。
それは、”承認欲求”を満たす必要などない、ということです。
承認欲求とは、「他者から認められたい」という欲求のことです。
それ自体、”他者”の欲求であり、”あなた”の欲求ではありません。
他者の期待を満たすことは、他者の人生を生きることにほかなりません。
他者の欲求など満たす必要などないのです!
他者から望まれる自分の姿を、
あなたが勝手に、
または教えられ、
あるいは刷り込まれた無意識の中で作り上げてしまった虚像を、自ら察して理想として掲げていて、
「わたしはこうあるべきだ」
「こうでないといけない」
と、いっぱいいっぱいそうなるための条件を作り込んでいってしまっているわけです。
その理想とかけ離れた自分と他者を比較して、ひどく落ち込んでしまうようになります。
これを”劣等感を感じている”状態といいいます。
劣等感については、詳しく見ていくとまた一つ記事が書けてしまうので、今回はさらっと流しますのでご容赦下さい。
劣等感の中身を一つひとつ分解していくと、それらはすべて他人の願望であり、満たす必要などない、ということが理解できるのですが。
ここで大事なのは、満たすべきはあなたの思いの方です。
”承認欲求を満たすために生きてはいけない”のです。
ぼくも劣等感を抱えて生きてきました。
サラリーマンとして会社の為になることだけを考えて、自分を犠牲にして目いっぱいがんばって、やれるだけのことはやって、誰からも文句を言わせないように完璧に仕上げ、、、それこそガムシャラに仕事していました。
誰かと比べて、誰にも負けたくない、一番になりたい。。。
そして、誰かと比べて優位に立ち、みんなから認められ、一目置かれたい・・・。。。
そう、他者からの視線、自分の見られ方にばかり執着していました。
”負けたくない”、というのは自分の願望なので健全な心なのかもしれませんが、”認められたい”と思うのは健全な心ではありません。
”負けたくない”というのも本来は健全ではないのです。
”勝ち”を意識するから”負け”たくないと思うようになるのです。
ぜひこちらの記事をお読み下さいね。
他者から見た自分
他者から見られている自分がどう映っているのか、ということばかりにスポットを当てると、
「かっこ悪いんじゃないか・・・」
「頭悪そうに思われるんじゃないか・・・」
など、ネガティブな見た目によって自分が嫌われるのではないかと不安になってしまいます。
そうすると、本当の自分を押し殺して、みんなが理想として自分に臨んでいる姿を演じてしまうような生き方に自然となってしまいます。
自分でその生き方を選択してしまうのです。
だって、その方が楽だから。
嫌われないし。
批判も受けない。
本当の自分は、かっこ悪く、頭が悪い、というのを気づかれたくないし、そう思われたくない。
誰だって、好きこのんで嫌われたくはありませんよね。
誰だって特別な存在、ヒーローになっていたいのです。
羨望の眼差しを受けてみたいのです。
賞罰教育
また、現在の日本の教育では、いいことをしたり、何かを達成できたら褒める、わるいことをしたり、達成できなかったらバツがある、といった賞罰教育が取られていることも原因です。
これによって、どこかに他者の目線があるときは褒められたいがためによい行いをする自分であろうとし、よい行動をとってしまうようになってしまうのです。
行動を起こす原動力となるものが、自分の本心から出てくるものではなく、”他者”から見た自分をよく見せるための姿を思い浮かべた後に出てくるようになるのです。
これでは、自分の人生を生きているとはいえませんよね。。。
誰かが困っているから助ける。
悪い行いをしているから注意する。
行動の原動力は、本来もっとシンプルで、ストレートなのではないでしょうか。
他者の期待を満たすことは、考えずに済む楽な道かもしれませんが、果たしてそれでしあわせになれるのでしょうか・・・?
自己受容
”他者”の人生を生きていると、
- 嫌われることなく、
- 不快に思われることがなく、
- 楽で、
- 簡単、
- 手っ取り早い
のでみんなそうしたがります。
”あなた”の人生を生きようとすると、
- 嫌われる。
- 不快に思われる。
- 苦
- 難しい
- 手間がかかる
という問題が立ちはだかります。
誰だって苦しいことは避けたいです。
苦しいことは必要最低限な労力に抑えたいです。
向き合いたくないです。
そう。あなたがそう思うのは当然です。
できれば、このままスルーして生きていきたいところですよね・・・
ですが、この生き方も疲れます。
他者が何を望んでいるかを前もって察し、予測し続けなくてはならないのですから。
そろそろ終わりにしませんか。
あなたらしく生きるために、少し”変わる”勇気をもってみませんか?
少しだけ僕に時間を下さい。
そして、この記事をぜひお読み下さい。
ひとりの個人が社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係の課題を”人生のタスク”といいます。
人生のタスクをクリアするには、これらのメンドクサイ問題を解決しなければならなくなります。
いまのあなたには、”人生のタスク”を乗り越える”勇気”が足りていないだけだと思います。
”勇気”を持ち、”人生のタスク”を乗り越え、”あなたらしく”生きるためにはどうすればいいのでしょうか?
それには、”課題の分離”と”自己受容”という考え方が必要になります。
”課題の分離”
”自己受容”
”課題の分離”で、あなたが向き合うべき問題が何かを見極めます。
すると、あなたが向き合うべき問題が分かり、他者の課題を満たす必要がないことが分かります。
”自己受容”で、他者が見たあなたの姿がどうでもよくなり、そんなことより自分らしく生きることが大事だということに気付けると思います。
人は、自分一人ではなかなか気づけないものです。
だから本を読むことはすごく有用です。
アドラー心理学は人生のタスクを乗り越えるのに役立つことがたくさんあります。
ぼくの場合、”自分の思い”を前面に出し、行動の原動力にすることで、他者からの視線は一切気にしなくて済むようになり、自由に振る舞うことができるようになりました。
あなたも、「こうしたい」という”思い”を前面に出して、やりたいことをやって、間違えたり、失敗したら素直に謝る、間違いを認めて改善する。
うれしいときは喜んで、悲しいときは悲しんで。
周りを気にせず、もっと自由に振る舞っていいのです。
あなたもこのアドラー心理学で無様な生き様でもいい、かっこ悪い、ありのままのあなたでいることの大切さに気づき、豊かな人生を送るきっかけにしてみませんか?
今日もお読みいただき、ありがとうございました。
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