27 Sep 2017
みなさん、いつも当ブログをお読みいただき、ありがとうございます。
そして、前回の記事の続きが気になってしょうがないあなた!お待たせしました!
この記事は前回の記事「妊娠中におかしいと感じたら?あなたの直感力を信じるべし!小さな違和感には必ず原因がある。」の続きです。
”かっちん”は”知的障害とダウン症”を持って生まれた我が家の天使です♪
ぼくに日々の暮らしの大切さを教えてくれた”タカラモノ”です!
この記事は、障害を告知されたときのショックを克服する方法を書いています。
かっちんについてまだご存じないあなたは、この記事をお読み下さい。
尚、基本的にぼくは週2回、水、土に新記事を公開する予定にしています。
-あくまでも予定ですが-
ですので、空いた日はぜひ他の記事をお読み下さいね(*ˊᵕˋ*)
ハンドメイドや旅行もありますので。
大病院での検診の結果
大病院で検診を受けた結果は、衝撃の事実でした。
「心臓に先天性の疾患があるかもしれない」
まさに青天の霹靂。。。
事実は小説より奇なり。
目の前が真っ暗になるとはこのことか・・・
先天性の心臓疾患ってなんだ?
助かるの?
こんなことがあるんだ。人生って・・・
この先どうなるんだろう・・・
湧き出る疑問を払拭することはできませんでした。
その日から、ぼくの見る世界は色を失っていました。。。
たぶん妻も同じ、というか比べ物にならないくらいもっとショックだったはずです。
「ごめんね。」
こう思わずにはいられませんでした。
妻に対して、かっちんに対して。
安易に考えすぎていたんだろうか・・・。
-今でもこの頃の判断が正しかったのかという思いがよぎるときがあります-
自分の運命を呪いました。
ぼくの無計画さが致命傷になった瞬間でした。
もともとぼくは計画性が無さ過ぎて、いろんな場面で失敗をしていました。
旅行に行くにも”行き当たりばったり”で目的地を適当に決めてしまい、時間を無駄にしたりしていました。
要するに「バカ」です。
先のことを考えられない「バカ」なんです。
ぼくはホントに先のことを考えるのが苦手なんです。
先のことを考えると、思考停止してしまうんです。
だからいつも結論がでないまま行動してしまい、失敗してしまうんです。
幼稚園の頃の不幸なできごと。
小学生の頃に受けた不幸なできごと。
その頃から、
「自分はダメなバカだ。」
「バカだから不幸になるんだ。」
「だから、お利口でいて、好かれるように、嫌われないようにしよう。」
そう思って生きてきました。
なのに、、、
やっぱり不幸になってしまう。。。
・・・
などなど。
いろんな思いでその時の不幸になった原因を後付けしていました。
先生の言葉は・・・
その大きな病院の先生は、
「出産する日を決めて、その日に入院できるように万全の体制で臨みますので安心して下さい!」
という心強い言葉をかけて下さいました。
ありがたかったです。
そして、自分の無力さを思い知ったのでした。
もう6ヶ月ぐらいのときでした。
そしてその後の検診をその大きな病院で受けるようになりました。
今までの人生でまるで関わることのなかった病院です。
かっちんの存在が特殊であることをいやおうなしに実感しました。
原因論の最たるものがトラウマ→目的論で人生の糧への転換
この時のぼくは、その当時の”トラウマ”を持ち出して、いろんな理由をつけて自分の不幸さを肉付けしていってました。
そんなことしても何の解決にもならないのに。
その”トラウマ”が原因であったことによって、今の”不幸”という結果が起きてしまっていると考える、これを”原因論”と言います。
この”原因論”に基づけば、自分が今直面している不幸はその原因によってもたらされているという考えに落ち着きます。
そう納得することによって、自分の行動を決めていってしまうのです。
ぼくの場合、
「不幸なできごとがあったから、自分は人に対して”いい人”と思われるようになっておいて、あらゆる人から好かれて生きたい」
「好かれて生きていたいから、嫌われるようなことを言って人と対立しないようにしよう」
という、”逃げ”の人生を送っていました。
本音をさらけ出すことを避け、意見の対立をできるだけ拒否し、楽な人生を選んでいたのです。
その時も、自分の人生が不幸であったことを理由にして、”だから不幸なんだ”と納得しようとしていました。
自分に向けられた不幸にばかり目を向けてしまい、そのまま立ち止まっていました。
不幸であってもすべて事実である、ということに向き合わずに。
ここでは、”今、目の前で起きている事実”に向き合い、どうすればいいのかを過去の事実に与える意味から考えることが大事です。
「過去の事実はもうどうしようもないことなんだから
考えてもしょうがないし、
ましてや過去の事実があるから絶対未来の事実は変えられない、
だなどという原因論はさっさと捨ててしまって、
”今ある事実の解決方法を探そう!”」
と言う”目的論”への転換が必要です。
”今ある事実の解決”
のためにどうすべきか。
過去の事実は自分を成長させる人生の糧であって、単なる肥やしにすぎない。
”今ある事実の解決”と言う目的のために、解決方法を探る。
ここで言う、先天性の心臓病の対処方法やその後の治療方法の調査。
妻の不安に寄り添い、励まし続ける、など。
上げればキリがなかったはずなのです。
そもそも手術がいるのか?
ちゃんと生まれるのか?
だいたい直るのか?
発達していくのか?
この段階では、病名が明らかになっていないのですが、予想される症状ぐらいは分かったはずです。
分かれば、質問もできたはずなんです。
何でいっぱい質問して、モヤモヤを晴らさなかったんだろう・・・
未だに後悔しています。
弱かった自分を情けなく思います。
まとめ
”今ある事実の解決”という目的に向かうことで、あなたは”障害があること”を告知されたショックを、トラウマのせいにしなくて済むのです。
数々の気づきから学びを得て、成長した今だから言えるのであって、当時のぼくには”なす術がない”状態が”最善”でした。
何か自分にとって未知の問題に直面した”そのとき”に、適切に対応することができるのが理想ですが、”そのとき”に起こる問題って想定外のことなんですよね。たいがい。
だから”未知”の問題なんであって、”そのとき”に”最善”の対応ができるとは限りません。
失敗したと思える今だからこそ、いろいろな気づきを得て、”いい教訓になった”と失敗に与える意味を変えることで人生の糧にできました。
ですので、あなたも、ぼくの失敗談から学びを得て、ぜひ、小さな違和感からくる”直感”を大事にして、トラウマを否定し、過去のできごとに与える意味を教訓に変え、”今、目の前で起きている事実”に向き合うことに生かして下さいね。
※この時点では、明確に「ダウン症」を告知された訳ではありません。
可能性があると言われたまでです。
まだまだ続きます。
今日もお読みいただき、ありがとうございました。
↓ぜひこちらもお読み下さいね♪
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